担任教師の「諦めろ」に負けずSEになった話(3)

IT業界にかかわるまでの話です。
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二十歳になろうかという頃、
一つの転機が訪れました。

しばらく音信不通だった“Y”から久しぶりに連絡があったのです。

曰く「一緒にバンドをやらないか」と。

聞けば、大学の軽音部でバントを組んだものの、
ギター担当がかなりもやもやな方だったようです。

私もちょうどギターを弾く場がなかったので、
それなら一度、とリハスタに集まりました。

2時間程一緒に演奏して、その日のうちに正式メンバーに。
“Y”の紹介でリハスタ店員のバイトにもあり付きました。

それから五年間はバンド三昧の日々。
大学はサークルの部室に顔を出すくらいになってしまい、
挙げ句、四年通った時点で辞めてハートブレイクしまいました。

(しかも色々あって除籍扱いムカムカ

 

これは当時親と相当揉めました(当然ですが)し、

自分自身かなりの後悔ガーンがあったのだと思います。

何度も何度も、10年以上経ってさえ、入学し直す夢を見ました。

 

あまりの申し訳なさに耐えきれなくなって、

30歳くらいの頃に親に全額返済コインたちしました。

それでもまだ、夢に見ます。

 

 

 

 

そんな風になるなんて思いもしないまま。

リハスタの店員をしながら、せっせとライブ活動ギターを続けてました。
いつしかメンバー同士、プロを目指そうと話すようになっていき。
バンドが全てに優先する生活でした。

とても充実した時間でした。

 

気付けば、25歳になってました。

 

バンドも悪くはないものの、特別な存在にはなれないまま。

バイトでその日暮らしの自分に、自分の将来に、

不安を感じはじめ、就職が頭をチラつくようになりました。
 

 

そんなある日。

「就職考えてるんだって?」
と、リハスタの社長に勧められたのが。
そう。
プログラマー
だったんです。

リハスタ店員で一番コンピュータに詳しかった事。

店舗システムについて色々話していた事。

社長とのそれまでの会話から、

こういう方面が得意なのでは?と感じていたそうです。

ただこの頃、私の気持ちは正直に言って
全然プログラマーの方を向いていませんでした。
恥ずかしながら、今後の職業の選択肢に
思い浮かんですらいないという有様でした。

だから、この時の話が無かったら、

私の今は全然違うものだったと思います。

“Y”との繋がりから生まれた社長との繋がり、
それが私の人生を大きく変化させたのです。

社長と話してすぐ、ハローワークへ向かいました。

初めての就職活動でした。

小さな一軒家をオフィスにする、
小さな会社の採用面接を受けました。
落ちました

めげずにすぐハローワークへ行きました。

すぐに次の面接を受けに行きましたが、
それも落ちました

5社くらい落ちると、少し不安が芽生え始めました。

不採用になる可能性(それも普通より高いはずの)を意識出来てませんでした。

無邪気ですね。

何の勉強もして来てないのに、いきなり雇ってくれなんてアセアセ

今考えたら分かりますけど、役に立ちそうに思えないですよね。

 

 

 

そこで、そもそも考え方が間違ってるのかな?
と少し方向性を変えてみました。

正社員が無理なら派遣でもいいじゃないか。

IT系の仕事で定収を得る、が本来の目的だったはず。

 

何でもいいから、まずIT関係といえる仕事を初めてみよう。

初めてみなければ次のステージだって見えるはずがない。

その場に立ってなければチャンスだって巡ってこないだろう。

 

 

新聞の折込広告で目にした、WEBサイト作成者募集。
ホームページのHTMLを手書き出来たのが幸いしたか、

この仕事は即採用になりました。

こうして、中学高校大学その後と回り道をし続けて、

ようやくIT業界への第一歩をようやく踏み出したのです。

 

 

続きはまた、次回に。

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