担任教師の「諦めろ」に負けずSEになった話(4)

25歳にして遅れ馳せながらIT業界に踏み入れた私。

この時、学歴は高卒、資格は普通免許のみ。
業界というか、そもそも社会人を未経験。

 

とても不安な気持ちだったのを覚えています。

 

 

その私の初めての仕事は、いわゆるテスターと呼ばれるものでした。

 

 

テスト仕様書に従って、その通りに動かして問題ないか、

ひたすら確認するといった内容。

 

対象の機器はWebページを表示する端末だったのですが、

仕様通りのWebページが見つからない場合に、

手書きHTMLでテスト用ページを作ってました。

 

趣味が実益に繋がった初めての瞬間でした。

 

 

ちなみにこの仕事の勤務地なんですが。

高校一年の夏、ギターを買うお金の為のバイト。

来る日も来る日も機械製品の梱包作業。

その納入先だったSHARPの工場だったのです。

タダの偶然とは分かっていても、感慨深いものがありました。

 

 

 

この仕事は三ヶ月の期間で募集されていたのですが、

ありがたい事に契約延長の希望を頂きました。

立場も一担当者からチームリーダーに昇格し、

更に仕事にドップリ浸かる事になっていきます。

 

 

その後、この現場では2年働きました。

社員でも無いのに、随分こき使われました。

そしてその分、育てても頂きました。

どちらかと言えば、勿論感謝が勝っています。

ここでの2年も、今の私の足場を築いた大切な時間でした。

 

人を使う難しさ、人を気遣う優しさ、仕事への向き合い方。

同僚や上司、部下、様々な人と関わりながら学んだ日々でした。

 

 

この仕事を辞めた理由は、一言で言えば「将来性」です。

 

機器の仕様を元にテストする項目を検討して実施。

この道の先で、自分は何が出来るようになっていくのだろう、

そういう不安感が芽生えた事がきっかけでした。

 

 

ちなみにこの時仕事を辞めた後に、

初めての海外旅行を経験しました。

かなり色々な出来事に出会えたので、

またいつか書いてみたいと思います。

 

 

次の仕事は、やっぱりプログラマをやってみたい。

昔のバイト仲間がプログラマで就職していたので、

面接だけでもと口利きをお願いしてみた所、

いきなり社長面接して貰える事になりました。

 

これはかなり好感触だったのですが、

結局その後連絡がありませんでした。。。

 

 

そこで、今までとは違う大手派遣会社の面接へ。

 

この時の出来事というか面接の内容が、

結構忘れられない出来事なんですが、

面接官の初老の男性に、それはもうボロクソに、

お前に価値ど無いとばかりに貶されました。

曰く。

 

大学を辞めて何をしてたのか。

2年ぐらいのテスター経験で仕事をしてきたつもりか。
そんな歳まで遊んでいて仕事があると思っているのか。
自分が何か世の中の役に立てるつもりなのか。
面接を受けても不採用に決まってるん。諦めろ。
君なんか紹介するだけ無駄だ。

 

忘れもしないパソ○テックさん、その節はお世話になりました。

 

ここはもうアテには出来ないなと感じたので、

お世話になっていた営業職の方に、

何か仕事がないかと連絡をとってみました。

 

結局ほぼ同タイミングで双方の面接を受ける事になりました。

 

パ○ナさんの面接は名古屋の開発会社。

ここの面接が大変好感触だったそうで、

名古屋まで旅費を出すから是非会社に来てほしい、

雰囲気を見て良かったらウチに来てほしい、

という二次面接のお誘いを頂きました。

 

評価が高かったせいか、前出の面接官も態度が豹変。

お前よばわりのタメ口から突然さん付で敬語って。

 

 

営業さんの方は、古くから付き合いのある方が

独立して企業したという大阪の開発会社。

力関係が先方<営業さんだったようで、

開発経験0でも無理やりにネジ込んでくれるとアセアセ

 

 

結局、お金の条件で大阪の会社にしました。

名古屋は、最初3ヶ月が使用期間で月10万、

大阪は派遣で単価が30万、とかなり違ったので。

 

この時名古屋に行っていれば、また人生が違った事でしょう。

プログラマとしてのスキルは当然磨かれていたでしょうが、

現時点の収入はきっとずっと低かったと思いますし、

今のようなスタイルで働く事も出来なかったと思います。

(年間9ヶ月労働で生きる、を実践中。これもまたいずれ。)

 

 

ここで私はSQLを初めて学びました。

全く知識0、SQLって単語も聞いたこと無い状態で、

業務アプリの開発要員。

今考えたら、無茶苦茶ですね…よく受け入れてくれたな。

 

 

分厚い本を渡されて、一ヶ月で覚えてきて、

それが最初の課題でした。

当時流行していたチャットルームで、

仲良くしてたプログラマに相談し、

流行のDBのインストーラを借り、独学。

 

 

初めて入った現場では、システム移行要員として、

テーブルデータを新システムへ移行する為のSQLを

来る日も来る日も書いてました。

 

 

IT業界へ踏み込んだ私は、2年目、27歳にして、

ようやく念願のプログラマーとして第一歩を踏み出しました。

 

 

今回は、ここまで。

 

 

 

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