担任教師の「諦めろ」に負けずSEになった話(5)

新しい仕事で忙しくなって、なかなかブログ書く時間が取れません・・・

前回何をどこまで書いたのか忘れてしまう自分がおりまして(笑)

どうやらプログラマになるまで、を書いてたようですので、その続きを。

 

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27歳で、遂に念願のプログラマデビューを果たしました。

わたしとAさんが派遣社員、社員のSさんがリーダー。

小さなチームで挑んだ新システムへのデータ移行プロジェクトでした。

 

 

毛も生えない初心者だった私は、それはもうアレコレと怒られました。

毎日怒られに職場へ行ってた、と言っても過言ではありません。

Sさんには嫌われてしまったのか、かなり細かい事まであせる

 

提出資料の字が汚い、ファイル名が分かり難い、PCのデスクトップが汚い、

挨拶の声が小さい、印刷資料のフォントサイズが小さい、等々。

ありとあらゆる事で怒られ続けました。

リアルに胃痛を感じるようになって、毎日つらかったです。

ようやく手が届いた憧れなのに、だんだん仕事に行きたくないと思うように。。。

 

 

この状況を変えてくれたのが、Nさんという方でした。

プロジェクトの途中で追加要員として参加したNさんは、

励ましてくれたりSさんを抑えてくれたりと、

仕事面も精神的にもフォローして下さいました。

そのお陰でなんとか最後までやり通せたのだと思います。

 

Sさん、Nさん、Aさん、そしてわたし。

4人のプロジェクトがどのようにして終わったのか、正直覚えていません。

とにかく必死の毎日でした。

せっかく1年半ほど辞めていたタバコにも手を出す始末。

 

 

正直自分には向いてないのかと感じていましたし、

プロジェクト終了と共に、自分のプログラマ人生は終わる、

そんな風に思っていました。

やっぱり担任の言ってた事は間違ってなかったのかな、って。。。

 

そんな私に声を掛けたのが、Sさんの上司だったTさん。

タバコ部屋でのちょっとした立ち話でしたが、

「頑張ってくれてありがとう。これからもよろしく。」

みたいな話でした。

 

 

・・・これから?まだこの生活続くカンジ??死んじゃう???

 

 

と、かなり戸惑った覚えがあります。

 

 

 

プロジェクト現場だったオフィスではSさんの会社、

J社の方々がシステム運用業務に従事されてました。

そちらのチームで引き続き業務に従事して欲しい、

とのご依頼を、後日正式に頂きました。

 

 

Sさんが自社に戻られる(つまりイビ…御指導をもう受けなくてよい)事と、

移行プロジェクトメンバーの仕事ぶりを見て選んだ、というお話を聞いて、

この先も頑張ってみよう!と引き受ける覚悟をしました。

 

 

 

Tさんはとても仕事の出来る方で、この部門のシステムを全て把握している、

ヌシのような存在でした。役職や立場に関係なく、皆が頼っていました。

こんな風になろう!と憧れたものです。

 

実際、今の自分の考え方の多くは、Tさんに影響されていると思います。

システムはただ構築するのではなく根底に思想が必要だ、

いう言葉はとても深く自分の中に根付いています。

 

 

 

Tさんの元では、2年間みっちり修行させて頂きました。

初めての業務プログラム開発、そしてプログラム設計、

開発チームのリーダー、顧客IT部門との折衝。

 

これまでやってきた仕事は、やる事が予め明確になっていました。

これからは自分でたくさんの事を決めなければならない。

この時初めて社会人らしい仕事に触れたのかも知れません。

 

 

 

初めてのプログラム開発では、笑われながらも、

初めてにしてはよく出来てる、頑張ったな、って褒めて頂きました。

データベースに「区分1」なんて日本語を突っ込んだのも、

今となっては懐かしい想い出です・・・てへぺろ

 

 

2年後にこの現場を離れる事になったのは、お客様の事情。

J社さんの組織変更もあって、私も契約を終える事になりました。

 

前出の営業さんからすぐに次の仕事の提案を頂きましたが、

そこはあまり肌に合わず、1年で去りました…

 

 

 

 

結局、幼い頃あんなに憧れていたプログラマーでしたが、

私がプログラマーとして仕事をしたのはこの3年程だけでした。

 

 

短い間の、小さな小さな矜持でしかありませんが。

 

たしかに自分は達成した。

 

そう思える事が自分を支える一つの柱であることは、

疑う余地もありません。

 

 

 

 

プログラマの終わり頃に開発を含めた移行プロジェクトに携わり、

それがきっかけになったのか、移行プロジェクトばかりに関わるように。

 

少しずつプログラム開発からタスクが離れていき、

それと共にインフラ作業の比率が増えていき、

そうして気付けば今。

 

 

いつの間にかインフラSEとして生きています。

 

 

大手ベンダの仕事と関わるようになってからは、

これが生業と自信を持って言える位には稼いで、

それなりに困る事が少ない暮らしを送っています。

 

しんどい事もいっぱいいっぱいいーっぱいありますが、

期待して任せて頂く仕事も増えましたし、

現場の関係者からも嬉しい評価頂いたり。

 

やっぱり、基本的に好きな事だからなんでしょうか。

鬱になる事もなく元気に楽しく働いてますね。

 

 

 

 

 

だから、やっぱりこう思うんです。

 

 

担任教師の「諦めろ」に負けずSEになって、

人生充実してるなーって!!!

 

 

 

– 終わり –