高校時代の話になります。
IT業界を目指す人にとっては何一つ役に立つ事は書いてません。
お役立ち情報を求めて辿り着いてしまった方には敢えて言いましょう、
ごめんなさいと。
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外圧に負けて悔しい選択だったものの、無事高校生にはなりました。
普通科の高校生になってしまいました![]()
さあ高校始まるぞーワクワク![]()
っていう記憶が微塵もミジンコ
程も残っていないので、
やっぱり楽しみでは無かったんだろうなと思います。
失意の方が強かったというか、しょんぼりしてた筈です。
入学式
を経ていよいよ新生活、まずはクラス分けですね。
私のクラスは芸術科目選択「音楽」の集まり。
そしてその教室には、以前から気になっていた彼の姿が。
はっきりと覚えています。
合格発表の帰り、すぐ前を歩いていた彼。
襟足なげーな![]()
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と思ってた私。
そしてふと振り向いた彼。
彼はとても綺麗な顔立ちをしていました。
念の為ですが、私は男色のケは欠片もありません。
それでも強く印象に残っていたのです。
これが、数十年に渡って付き合いの続く友人Yの、最初の印象です。
(今はもう、見る影もないオッサンに成り果てましたが😁)
中学生の頃はパソコンの他、アニメやゲームも大好きでした。
そんな私が布施のアニメイトで買った、「吸血鬼ハンターD※1」の下敷き。
これが友人Yとの縁を繋ぐキッカケになりました。
吸血鬼ハンターDの第一作がOVA化された時、
音楽を担当したのが小室哲哉氏でした。
主題歌は勿論、TM NETWORK。
そして“Y”と私、二人ともが大好きだったユニットです。
む。
だった?今も好きです。ゲッワイゲッワイ!
同じものが好きと分かれば、話題もはっきりする訳で。
共通項を見つけた我々は、どんどん仲良くなりました。
その出会いが更に出会いを呼んでいきます。
小室哲哉氏に憧れたキーボーディストの“Y”
父親仕込みのギター好き、“O”。
BOOWYのベースに憧れていたという、“E”。
機会があればバンドやってみたかった、“I”。
そして歌うのが好きだった、私。
プログラマーになろうとしていたはずの子供は、
なぜか高校生になって早々に道を違えてしまい、
バンドやろうぜ!!
とか言い出してしまったのです。
ただこの時たった一つだけ誤算がありました。
私は歌が好きなだけでとても下手だった![]()
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同学年にとても歌の上手いボーカルも居たので、
私はすぐにお払い箱
となりました。
遊びの輪には居るけれど、バンドの話じゃ蚊帳の外。
又しても、いつぞや感じた生暖かい視線がやらかい場所に。
ならばやはり初心に戻って、プログラマーを目指して頑張るべき!
プログラマーに俺はなる!!!
とは考えなかった当時の私。
ボーカルをクビになった私は、
よろしい。ならば演奏だ。
と考えたのです。何故だったんだろう。
バンドやる訳じゃないし一人で出来る楽器、
という事を考えた覚えはあります。
幸いな事に、家には妹が弾いてたピアノがありました。
ピアノがあるからと言って
キーボードをやるとでも思ったか。
どういうロジックだったかは不明ですが、とにかく私は、
ギターを弾け(るようになり)たいと思ってしまったのです![]()
何故だ!?
「坊やだからさ」
「今度こそやりたい事をやる!!」って反発心だったのかも知れません。
そうして高1の夏休み、ギター代を貯める!
と意気込んで、初めてのアルバイトに挑戦しました。
来る日も来る日も機械製品の梱包作業。
それを市内のSHARP工場へ搬送。
それを夏休みが終わるまで、の契約です。
初めての仕事で解らない事だらけ。
それ以上に、様々な面で坊やでした。
めちゃくちゃに御迷惑をお掛けして、
それでも優しく指導して頂いて。
申し訳なさ過ぎて、今思い出しても泣けてきます![]()
そうやって挫けそうになりながら掴んだお金は、
ひと夏でなんと5万円。
ナケナシの5万を握り締めての新学期。
ギターを買いに都会へ向かおうとする私に、
思い掛けず着いて来てくれると言ったのは“Y”でした。
彼の勧めるまま、あちこちの楽器店を巡り、候補にしたのが
MG-M※2(M2だったかも)と、フェンダージャパンのストラト。
悩んだ末、ストラトに決定。
決め手は「見た目」でした。
とにかくひと目見て心奪われたんですよね。
私見ですが、男子高校生にとって見た目って重要じゃないですか?
ギターのモデル名とかは覚えてません。
濃い茶色のボディに白ピックガードでした。
「ST62-115 WAL」が一番似てますが、
私のギターは金属パーツがシルバーだったので、
下位モデルだったのかも知れません。
上記型番はレア物らしく、値段もお高いようです。
それからは友人にバンドスコア(楽譜)を借りて練習する毎日。
CDに合わせて一曲間違えずに弾けるまで繰り返す。
一応「その曲に聞こえる」ようになったのは半年後くらいでしょうか。
ある日の音楽の授業で、複数人で音楽を演奏する課題が出ました。
私は初めたばかりなのか微妙な時期のギターを披露する事になり、
“Y”ではないキーボード奏者の友人“K”と一緒に演奏しました。
考えてみれば、あれが人生初のステージでした。。。緊張した![]()
これを聞いた“Y”達とは別のバンドメンバーに誘われ、
卒業するまでLINDBERGのコピーバンドをやってました。
私と“K”、あとの3人が女子。十分楽しい毎日でした。
高3では学祭ライブにも出て、体育館のステージ上で演奏しました。
緊張で指は動かず、一曲目でいきなり弦が切れ、下手すぎて許せないと酷評され。
これについては、散々だった記憶しかありません。。。
そんなこんなで楽器を手にしてしまった私は、
プログラムそっちのけでギターを弾いて高校生活を終えたのでした。
情報分野の方はどうだったのか、というと。
数学の苦手感
はアップして、常時赤点みたいな状況で。
補習の常連になったお陰で数学教師とも仲良くなりました。
大学受験も経済・経営と文系学科、受験科目は英国社。
話の流れ的にも、SEになれそうな気配は無いですね。
実際、ありませんでした。皆無でした。
プログラマーの道はもう、諦めてました。
この時点では。
さてさて。
高校卒業でバンドも解散したので、
次の場を大学の軽音部に求めました。
しかしそこはメタリックな重低音が響く、
時はまさに世紀末。
アンプのツマミが少しズレた程度でも人を殺しそうな先輩たち。
けいおん!みたいな明るさは欠片もありません。
あれは重音部だろ、といった友人の言が忘れられません。
ここは初心者の来る場所じゃないなと、すぐ退散しました。
そして道端で勧誘された新歓コンパというタダ酒に釣られて、
音楽と関係ない旅行サークルに入り、知らなかった遊びを色々教わり。
そろそろ二十歳を迎えようという頃に、一つの転機を迎えたのです。
といった所で、次回に続きます。
今回は書いてる内に雑な文章になってしまったり、
引用ネタが多くなってしまいました。
・・・ところで、今はもう下敷きって使わないんですかね?
※1
ちなみに吸血鬼ハンターDですが、
1983年1月の第一作発表から今なお未完の超大作です。
挿絵はかの天野喜孝画伯。FFが有名でしょうか。
最新刊は2018年4月の46巻(エピソードとしては33)となっています。
※2